(´;ω;`)ううぅ、辛い。
この辛さを他人に訴えてみても同情を欲しがっているようにしか見えないらしいので、ただひたすら黙って我慢していた日々。
7月、8月の夏真っ盛りの暑い日も長袖を着て腕の赤い発疹・蕁麻疹を隠して過ごした。
しかし、その隠す行為が逆に発汗を促して蕁麻疹が爆発的に全身に溢れ出た。
一歩も外に出ず、カレンダーに記した屋外に一歩も出歩かなかった日のマークが徐々に増えだし、ついに外出日と逆転したあの屈辱の日。
日本全国にコリン性蕁麻疹と診断?されている人がどれだけいるでしょうか。
年齢や性別、職業に関係なくいるのでしょうか。
肌荒れしやすく吹き出物が出やすい体質
両親に私の子供の頃の記憶がないか聞いてみると、手足口病には罹っていたと思うよ~、という話を聞きました。ん~、これはあまり参考にならないですね。皮膚が弱いとか関係ないと思うし。
あ、水疱瘡(みずぼうそう)には罹ったとも言っていました。これが後に私を苦しめた帯状疱疹(たいじょうほうしん)として復活・再発するのですね。※帯状疱疹ウイルス
とまぁ、私が肌荒れや肌質で悩まされるのは思春期から青年期、成人にかけてですね。
思春期のニキビで自殺を考えるほど悩んだ中学・高校時代
私は元々、色白で肌が弱いのです。吹き出物が出やすく、小学校を卒業してから中学校に進学した時期から、顔全体に男の子の思春期特有のニキビが出始めたのです。
このニキビには本気で真剣に自殺を考えさせられるほど悩みました。多分、中学生や高校生の恋多きこの年代の自殺って勉強よりも恋愛のほうが多いかもしれません。
私のニキビは中学校から高校生、そして成人するまで続いたのです。それは長い長い戦いでした。闘い疲れて死んでしまうかも、とさえ思ったほど。
しかし、徐々に吹き出物・ニキビは少なくなり、24,5歳ほどの頃にはほとんど出なくなりました。昔、近所の薬局のオジサンに言われた、
『大人になったらニキビは枯れるから、今のうちにたくさん勉強しておきなさい。ニキビが出る頃にたくさん勉強したら全部、頭の中に残るんだぞ。』
あのオジサンの言ったことは半分は正しく、半分は間違いだったのです。たしかに、ニキビは枯れましたが(※枯れたという表現が正しいのかはわかりませんが中学の男子には理解しやすいかも)、当時勉強した内容はほぼ失っています(笑)。
また、ニキビが気になって勉強どころではなかったのです。高校受験よりも片想いだった女の娘がどこの高校へ行くのかが気になってしかたなかった・・・(○´艸`)ポッ。
当時はクレアラシルという白い軟膏の薬と顔全体に塗りまくり、今なら笑って振り返れるけれど、まるで白面のオバケみたいでした(笑)。ところがクレアラシルは私のニキビには敵いませんでした。一向に治らなかったのです。
車に乗って1時間もかけてたどり着いた口コミで有名な皮膚科。ピーリング!?っていうんですか、ピリピリッって顔全体をお掃除!?して苦い飲み薬を飲む。これを1年間は継続したけれど改善せず。
漢方薬に頼ってすがってみても苦いだけで効果なし。もう両手を上げて降参でした。あ、そういえばニキビって遺伝が大きいと私は思います。私の母が子供の頃、ニキビに悩まされたそうです。父は綺麗な肌をしています(笑)。
ストレスとプレッシャーに敗れた会社員時代
社会人になると広告代理店に就職しました。制作部門を希望したのですが空きがなく、勉強になるからと営業部門での採用。勉強になるならいいかな、と安易に考えて働き始めたのです。
しかし、これがとてつもなくキツかった。当時はまだブラック企業なる言葉が出ていなかったような時代、サービズ残業なんて当たり前でした。
しかも営業ではあるものの制作の知識もないと仕事にならん!クライアントとの打ち合わせで話にならん!ということで営業と制作両方の勉強が必要に・・・。
次第に、ストレスとノルマ達成のプレッシャーが大きくなり、潰れてしまったのです・・・。
出社して最初にすることが、
「もう、この会社を辞めちゃおうかな・・・」
と考えるということ(笑)。今なら笑って振り返ることができるのですが、当時は真剣に悩んでいました。
しかし、辞めてどうする!?転職!?似たような業種だと一緒じゃないか!?独立して起業する!?知識も技術も人脈も資金もないのに!?ナイナイ尽くし(笑)。
すると、とある日の朝、両手首にチクチクっという感覚とともに、ポツポツと赤い斑点が出現したのです・・・。な、なんだこれ・・・(汗)。
帯状疱疹(たいじょうほうしん)(笑)!
原因不明のじんましんが全身に広がっていく恐怖!
複数の皮膚科を受診するも原因は不明。特定まで至りませんでした。